人体をミクロのレベルで見ると、細胞の膜電位は常に大きくなったり小さくなったりして揺らいでいます。揺らぐのが、自然の摂理なのです。
潮の満ち引きがしかり。呼吸もしかり。吸ったり吐いたりの繰り返しです。吸って、吐いて、二つで一つです。
一日の過ごし方も、活動と休息の繰り返しです。活動するから、休みが必要になりますし、休んでいたら動き出す時が来ます。
気持ちというのも、揺らぎます。
前向きに燃え上がろうとしたり、どうでもよくなってみたり。
自分の問題を深く考えて沈み込んでみたり、考えるのがいやになって、なるべく何も考えないようにしたり、あるいは何か別のことに没頭していやな気持ちを忘れようとしてみたり。
こんな時、「何も考えないようにしたほうがいいのか、それとも深く考えたほうがいいのか、どちらがいいのだろうか?」という疑問が湧くことがあります。
この疑問は、これまでの考察からすると、「呼吸する時は、吸うべきか、それとも吐くべきか、どちらなのか?」と考えていることに例えることが出来ないでしょうか。呼吸の場合は、その方法をすでにマスターしているので、普通は悩むことはありません。吸うのと、吐くのと、両方が必要だと、体で理解しています。
同じように、複雑な問題に対しても、深く考え込むのと、何も考えないのと、どちらか一方だけに決めるのは無理があると思います。どちらも必要なことでしょう。二つで一つ、揺らぐに任せてみたら如何でしょうか。その中から、いつか何かが生まれてくると思います。呼吸をすること=息をすることは、生きることであり、生きていたら、何かが生まれてくるように。
うん?じゃあ、息をしている最中にタバコを吸ってもいいの?それは、あなたにお任せします。